房総単機旅団

原付による房総を中心としたツーリングレポートを中心に、青年から中年、そしてその先へと向かう4匹のおっさんの人生のアレコレを、房総単機旅団と名前だけは勇ましく緩やかに記録する。

その年、相次いで小さな不幸に襲われた男、鎌倉萌乃誉(カマクラモエノホマレ)は、数年来取り付かれていたバイク欲しい病を再発させていた。 ここではないどこかへ行ってしまいたい。全てから解放されて楽になりたい−−自殺願望にも似たそれは、しかし積極的逃避であった。 逃避であるが故、計画は前進しなかった。逃避の想念を玩ぶことそれこそが逃避への逃避であったからだ。 しかし。そんな男の妄想を現実に定着させる男がいた。房総フジコスキーである。 この男、スズキから販売されたストリートマジック通称ストマジにて人生をゲットアウトする計画を持っていたのだが、さる筋から妨害工作があり断念していた。 以後およそ10年。長い時を経て、鎌倉萌乃誉からの妄烈な電波を受けて夢は呼び起こされた。 すなわち原チャリによる房総半島一周計画である。30半ばの鎌倉萌乃誉、そして40初頭の房総フジコスキー。 普通免許しか持たぬこの二人には、原チャリこそが最速最近の愛機となるべき伝説への翼だったのである。 そしてここにもう一人、30半ばにしてしっかり者の妻を持つ西六郷ドラゴンコークが登場する。 房総フジコスキーとは組合の前期及び現役委員長という強いつながりを持ちつつ、職場では背中合わせにコーラ500ml缶の取引を行う仲である。 職業故決して豊かとはいえぬ生活財政に喘ぎつつ、さわやかな笑顔と軽やかなユーモアを常に忘れないドラゴンコークは、フジコスキーから今回の計画を聞き一も二もなく参加を申し入れたという。 元々ドラゴンコークは原チャリ乗り。フジコスキーには因縁の一台となるストマジ乗りだった男だ。 原チャリに乗ったことのない鎌倉萌乃誉にとってもフジコスキーにとっても、力強い仲間となり、また教師となるはずだ。 こうして3名のおっさんによる小さなツーリング計画が始動したのである。 私たちのこの集まりを名付けて“房総単機旅団”。名付け親は房総フジコスキーである。 2008年初秋。私たちの旅に向けて、これから長い準備が始まる。 このブログはこの旅から始まったおっさんたちの交遊録である。
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